「花沢健吾スペリオール誌新連載『たかが黄昏れ』(?)開始!(1)」の続きです。完全ネタバレの記事となっておりますのでご注意下さい。




連載予告中の “私はまだ「男」を知らない” というアオリを見た私は、本作は主人公(おそらく女子高生)の心情を綴る物語かと予想していました。いや、それは外れてはいないとは思うのですが、本作の中心テーマはもっと別の、スケールの大きなものでした。

ほぼ同時に連載の始まったヤングマガジンの『アンダーニンジャ』は現在の日本に忍者が存在していたら、という異世界テーマ、もう一つの日本を描く作品です。

スペリオールの本作も、やはりもう一つの日本を描いています。こちらは男が消え、女だけで社会を構成している日本の物語です。

物語は三人の女学生、おそらくは女子高生が潮干狩りにでかけるところから始まります。そのうちの「ひなた」と呼ばれた人物が本作のヒロインと思われます。長い黒髪、太い眉毛という花沢作品のヒロインの特徴を備えています。ひなたの左目の下には目立つバンソウコウが貼られています。バンソウコウの理由は今はわかりません。もしやその下にホクロが隠されているのかと一瞬思いましたが、雑誌表紙の、バンソウコウを貼っていない「ひなた」の絵を見ると違うようです。

潮干狩りは学校行事や遊びなどではなく食料調達活動のようですが、心底真剣にやってるわけでもないようです。獲物のマテ貝の挙動から性の隠喩を感じとったひなたが、連れの二人にそれを告げようとします。そのやりとりから、この世界の約束事が見えてきます。ここでは「男」について話題にすること、「男」という漢字を書くこと自体がタブーとされています。タブーであり、犯罪であるようです。

そして三人の会話やひなたのつぶやきから、この世界ではその男がすでに存在していないことが示されて行き、最終ページでそれが明示されます。『私たちが生まれた年に、日本最後の「男」が死んだ』、と。

男がいなくなったその理由についてはまだ言及されていません。病気やウイルス、あるいは男性遺伝子のみに作用するなんらかの自然界からの影響と言った不可抗力的な理由でしょうか。

よしながふみの『大奥』では、江戸時代を舞台に、男のみがかかる病気により、男女構成比が極端に女性に偏った社会が描かれました。この作品では男がまったく存在しない社会のようです。するとタイトルの「たかが黄昏れ」の「黄昏れ」とは、子孫を残せなくなった人類の終焉、文明の黄昏れを描くという意味だとすれば合点がゆくようにも思えます。

しかしすぐに疑問が湧いてきます。

もし不可抗力的に男の数が減り、ゼロとなって子孫が残せなくなり、人類の終焉が迫ってるのであれば、男の存在は渇望されむしろ神格化されるはずです。ところがこの世界ではむしろ逆に男の存在がタブー視され、三人の会話からは、何かしら男の価値を軽んじるような社会背景を伺わせます。


ビッグコミックスペリオール2018年16号「たかが黄昏れ」より
ビッグコミックスペリオール2018年16号「たかが黄昏れ」より「こんなもん

私が三人の会話から連想したのは星新一の「白い服の男」です。1968年発行のSFマガジンに掲載された比較的長いショートショート作品です。白い服の男とは、思想警察官、あるいが言語取締官を指します。描かれているのは、戦争をなくそうと思った人類が、戦争という言葉自体を禁秘とし、日常生活の中から、あるいは文献の中から、戦争という概念、戦争という言葉を徹底的に抹消しようとしている世界です。戦争という言葉を使うこと自体がタブーであり、単に「セ」と言及されます。主人公の「白い服の男」は言葉狩りの任務を忠実に、疑問を持とうとせず正義として果たします。

本作の連載第一回の描写からは、人類の終焉が近づいているような切迫感はありません。冒頭、ひなたたちの上空を小型機が低空飛行しています。文明が充分に機能していなければ飛行機など飛ばすことは無理でしょう。そもそも(多少食糧不足の感はあるとはいえ)学校が運営されているということは、文明の先行きを絶望していないということです。

どうもこの世界は、少なくともこの世界の日本は、不可抗力ではなく意図的に「男の出生が禁止された社会」のようです。ひなたたちの生まれた年に死んだと言う「最後の男性」の姿は老人として描かれています。高齢の男性一人が最期に複数の子孫を残せるとは思えませんし、ひなたたちの会話からは彼女たち三人だけが人類(もしくは日本人)の最後の子供たちであるようにも思えません。少なくとも同年代の級友はいます。

つまりこの社会は、男の存在がなくても子孫を残す手段を確保した上で男子の出産を抑制した社会ではないでしょうか。その手段が精子バンク、あるいはiPS細胞などのバイオ技術によるものなのかどうかはわかりません。ただ、すでに生まれていた男については、その寿命が尽きるまでは存在を許容し、その最後の男の死んだのが、ひなたたちの生れた年、ということでないかと推測しています。

これが世界全体の話なのか日本の社会だけの話なのかは明示されていません。しかしわざわざ「日本」最後と書いたのは、これが日本固有の意思決定に基づく制度であることの示唆でしょう。

冒頭の小型機の機体には「…N AIR FORCE」と書かれています。「…」の部分は主翼に隠れていて読めないのですが、尾翼には日の丸が描かれていますのでおそらく”JAPAN AIR FORCE”(もしかすると”NIHON AIR FORCE”)でしょう。現実の航空自衛隊は、海外では “Japan Air Force”と称されることもあるようですが、正式な英語表記は “Japan Air Self-Defense Force” です。この世界で自ら機体に”JAPAN AIR FORCE”(日本空軍)と表記しているということは、日本と海外の軍事的緊張関係、あるいは日本と海外とのなんらかの価値観の齟齬を意味しているのかもしれません(軍事知識は無いので違ってたらごめんなさい)。

ともあれ女子高や軍隊という組織が維持されているということは、この世界では文明が十分に機能しているということでしょう。そこでひなたたちは、男が存在しない世界、男をタブーとする社会で育ち教育されながらも、それにあらがうような自ら身体からの自然の呼ぶ声、欠損を埋め合わせたいという願望を抑えながら「現実と自分をすりあわせ」ている状況にあるようです。

なお、作中では「たかが黄昏れ」は誰かの詩の一節であると語られていますが、私の検索した範囲では見つかりませんでした。作者の創作かもしれません。ただGoogle検索は詩文の検索に関しては有名な作品以外結構弱いので、誰かマイナーな作家の作品かもしれません。




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