終わりだ
アイアムアヒーローの最終巻(第22巻)がいよいよ発売になりました。表紙カバー、表紙カバーと帯、表紙カバーを外した表紙・裏表紙だけの画像を三つ並べてみます。

22巻表紙カバー
22巻表紙カバー&帯
22巻表紙・裏表紙
帯に「完結。」、表紙・裏表紙に「終わりだ」とあります。「完結。」、「終わりだ」と断言する以上、本当にもう、これで終わりなのでしょう。
さて、最終巻、あるいは連載の最終エピソードに関して、SNS等では賛否両論が渦巻いています。有り体に言えば、賛否のうち否の方が多数派であるようです。私は「賛」の側なのですが、感じ方・受け止め方は人それぞれなので、そのあたりの議論はしません。ただ、「投げっぱなし」とか「伏線がまったく回収されていない」という感想には軽い違和感を持っています。
もともと花沢作品、特に本作「アイアムアヒーロー」は、セリフによる舞台回しの役割が極端に少ないスタイルを取っています。時にはそのセリフも極めて断片的・象徴的表現にとどまっています。そのぶん、背景描写や登場人物のちょっとした表情が、ストーリー進行上大きな役割を果たしています。漫画本来の表現手段によって物語の骨格が語られている、と言っても良いでしょう。セリフだけを追う読み方をした場合は、丹念に織り込まれた物語の大部分を読み落としてしまいます。
また、本作の登場人物はいずれも、いわゆる「神の視点」を持ちません。どの登場人物も何が起こっているのかわからない世界をひたすら右往左往するだけで、全体を俯瞰する登場人物は決して登場しません。それは主人公英雄、ヒロイン比呂美も同様であり、目の前の途方もない現実に圧倒され、時には誤った判断をします。読者はその不完全な登場人物の視点を通して世界を把握していく努力を強いられます。
そういう意味で、この作品は読者に非常に不親切な漫画といえます。私は連載時、何度も読み直した樹海編で、本作がそういうスタイル、話法であることを、骨身にしみて理解しました。
こうした話法を受け入れた読み方、すなわち作品を能動的に読んで行くスタイルに慣れていない読者にとっては、説明不足で何も伏線が回収されていない漫画、という印象になるのではないでしょうか(すべての伏線が回収されているとは言いません)。
不親切な漫画とも言えますが、じっくりと作品を読み解きたい読者にとっては実に豊穣な漫画とも言えます。あらゆる文学・漫画の古典がそうであるように、読み返すたびに、新たな発見が待っている作品です。それは私がお約束します。
とは言え、こういう抽象論ではなかなか納得していただけないと思いますので、近日中にこのあたりを、なるべく具体的な例を提示しつつ解説する記事をポストしたいと考えています。今後ともお付き合いいただければ幸いです。
さて、次の頁は、同第22巻の最後のページ(271ページ)です。
ページ下段 “Special Thanks” の項は、作者花沢先生が「これまでお世話になったみなさまのお名前を、できれば単行本に記させていただきたい」(担当編集者)と設けられたとのことです。
大変恐縮なことに、この中に私の名前も掲載して頂けました。ちょっとお手伝いめいたことをしたや、旧サイト、本ブログで考察もどきを書き連ねたことでご厚情いただけたのかなぁ、などと思っています。下は拡大図。
Hideharu Sakai が私の名前です。誠に光栄です。
むしろこちらこそ、良い作品に巡り会えたことは、感謝に耐えません。
※記事中の画像は花沢健吾『アイアムアヒーロー』(小学館)単行本より
(2017/03/30 19:31 投稿)