「アイアムアヒーロー」第167話【ネタバレ注意】

岡本ジュリーさんと言えば、花沢健吾先生の妻であり、アシスタントであり、『アシ妻物語』の作者でもある漫画家なのはご存知の通りです。

その岡本ジュリーさんが、新創刊されたEDEN(1) (エデンコミックス) (マッグガーデンコミックス EDENシリーズ)という雑誌で、『アイアムアニョーボー』という新連載を開始されました。

名前が示す通りこれは『アイアムアヒーロー』のスピンオフ作品で、夫である花沢健吾氏も作画協力されているとのことです。

私も手元に届いたらまた感想を書き込みたいと思います。

以下、今回167話のネタバレ的内容となりますので、未読の方はスキップお願いします。

KNS

今回は再び、SNSならぬKNS(覚醒者・ネットワーキング・サービス)世界を彷徨う英雄の視点から物語がスタートします。時間軸的には(おそらく)数日前、空間的には道なりで150km前後離れた久喜市、ビュー的には発症前の崇の視点です。英雄は、久喜市の「基地」の階段を上がる崇の記憶を追体験しています。

KNSとは私の勝手な造語ですが、それがどのようなものであるのか、ここで整理しておきます。といっても、あくまで私個人の解釈ですので正しいかどうかはわかりません。



  • ZQNウイルス(ウイルスだとして)に感染した者のうち、なんらかの条件を満たしたものが「覚醒者」となります。覚醒者は、人間の意識を保ちつつ、ZQN感染者の驚異的能力、すなわち強靭な身体能力と不死性を獲得します。
  • 覚醒者同士は、距離に寄らず直接コミュニケーションできます。言語的メッセージのみならず、互いの記憶や、映像的メッセージの交換も可能です。
  • それはネットワークというより、一つの共有意識のようなものかもしれません。そこでは構成する覚醒者の記憶もプールされているようです。英雄が迷いこんでいるのは、どうやらこの共有意識の中のようです。
  • このネットワーク、あるいは共有意識に参加することは覚醒者にとって快体験であり、そのため、このネットワークは覚醒者の意識を強く結びつけます。
  • さらに結びつけるのは意識だけではなく、覚醒者同士の肉体も結びつけます。肉体の融合です。
  • 肉体の融合、あるいはさらにその先のステージがどのようなものであるのかは現在まだわかりませんが、それは覚醒者にとってわくわくするような期待を持たせる体験であるようです。

さて、基地の階段を登る英雄は、藪の妹(男女)とすれ違います。しかしこれは崇の記憶の再現にすぎず、これをもって彼女がこのネットワーク(共有意識)に参加しているとは言えないでしょう。

階段を登って入った部屋で、英雄の見ている世界はその性質を一変します。そこには崇、来栖(元祖来栖)、裸ネクタイ(スコップおじさん)の三人がいました。

阿修羅

合体ZQNの口内に取り込まれてから英雄の見ていたものは、あくまでネットワーク、もしくは共有意識にプールされていた他の覚醒者の記憶でした。

しかし、この三人、すくなくともそのうちの崇と来栖は、単なる覚醒者の記憶の中の登場人物ではなく、意思を持って動く人格であることがすぐに明らかになります。つまり英雄はネットワークの中で、まだ現実には合ったことも無い覚醒者たちの意識と出会ったのです。

久喜編の最後は、三つ巴の戦いの結果、崇が来栖と裸ネクタイを斃して生き残り、新しいクルスとなったことを暗示する終わり方でした。

しかし、覚醒者ネットワークの中では三人とも現に存在しています。これはどういうことでしょうか。

考えられるのは、

  • 現実世界では崇以外は死んでいるが、その意識はネットワーク内で想念と化して残っている。
  • 崇だけが生き残ったように見えたのは錯覚であり、その存在は、来栖と裸ネクタイを包含したものであった。

のいずれかでしょう。ベルギー編や箱根湯本編の登場人物(登場ZQN)から判断すると後者の可能性の方が高いですが、ここでは判断を保留しておきます。

確実に言えることは、部屋の中で接するように座っている三人の姿(右図)から、少なくともこのネットワーク内の世界では、三人は非常に近接した存在であることです。

互いに背中合わせに座る三人の姿は、なにやら両面宿儺や阿修羅の姿を思い起こさせます。

阿修羅像と異なるのは、阿修羅が一般的にはその三つの顔と六本の腕により感情を露わにするのに対し、今回の三人は瞑想するように座っていることです。

これが、静かに次のステージを待っているかのように見えるのは、私の思い込みでしょうか。



異物

三人の中で、まず来栖が英雄の存在を認識し、アクションを起こします。このことが、彼らが誰かの記憶の登場人物ではなく、意思を持った主体であることを示しています。

来栖のアクションとは、英雄を排除しようとすることでした。しかも排除しようとした手段は、ナイフによる殺害です。それを見た崇は「逃げて」と言いますが、これも英雄をこのネットワークから排除しようとする点で同じ意味です。違うのは、来栖がより直情的で直接的である点だけです。

比呂美の述懐から、来栖が、ネットワークにコネクトした(覚醒した)比呂美に対し、昏睡から覚めるように呼びかけたことが明らかになっています。しかし、同じようにネットワークにコネクトした英雄に対しては、一転してこれを排除しようとしています。

この態度の違いは何によるものでしょう。崇や裸ネクタイとはこのネットワーク内で共棲していますので、それが相手が女と男の違いゆえでないことはあきらかです。

前回、追憶のスープの記事内で私は、英雄が覚醒者ネットワークに接続した理由を、

  • 英雄自身が感染者となり覚醒者となった。
  • 英雄が合体ZQNという「ハイパワーの基地局」の内部に入り込んだため、漏洩した意識を共有することになった。

のいずれかと推測し、判断を保留しました。

今回の来栖の態度は、明らかに英雄を異物として認識した上でのものでしょう。つまり、現時点の英雄は覚醒者ではない、おそらくは、感染者ですらないということなのでしょう。

感染者でもないと判断した理由は、これまでのところ覚醒者以外に、感染しながら症状を見せなかった感染者はいないからです。

夢のいた場所

比呂美は一度ならず英雄を「こんな大人もいるんですね」と喝破しました。英雄は英雄で、口にこそ出さないものの、何度も「こんな女子高生もいるのか」と思ったはずです。今回の最後、比呂美は如何なく「こんな女子高生」ぶりを発揮します。

比呂美は樹海で、英雄の銃を借りて紗衣を撃ちました。しかし、それは半ば偶発的なものでした。今回比呂美は、初めて、意思を持って銃を撃ちます。そしてその直後、合体ZQNに抱えられて宙を飛びながら、奔放に哄笑しています。

歌手にして女優の薬師丸ひろ子は、映画「セーラー服と機関銃」で機関銃を掃射し「カイ…カン」とつぶやきました。3巻第32話で比呂美は、樹海へと夜の道を歩きながらつぶやくように「セーラー服と機関銃」の一節を歌いました(右図)。

比呂美がこの歌を歌ったのは、彼女の脳裏にあった強い死への観念がその歌詞を口に出させたからでしょう(→絶望についての考察)。

しかしその曲のタイトル「セーラー服と機関銃」に、もし先の展開への暗示も同時に込められていたとするならば、135話をへてついに作者はその意図を果たしたことになります。

※記事中で引用した画像は単行本・花沢健吾『アイアムアヒーロー』(小学館)、または週刊『スピリッツ』(同)より

(2014/01/21 04:56 投稿)