「アイアムアヒーロー」第155話・157話【ネタバレ注意】

今週のスピリッツでようやく13巻の発売日が10月30日と告知されました。13巻に第何話まで収録されるかはまだ判明していませんが、おそらく155話あたりと思われます。少なくとも今週157話は確実に14巻に突入しているでしょう。




さて、久喜編に入って以降、本作に登場するゾンビ(ZQN)のあり様は大きく変容しました。どちらかというとそうした変容に耳を(目を)塞いできた私ですが、そろそろ現実を直視しないといけないようです。

今回は変容した花沢ゾンビについて少し整理してみたいと思います。とはいえ考察ネタではなく週刊ネタの方に書く以上、あくまで subject to change ということでご了承ください。以下ネタバレ含みとなります。

155話で比呂美が語ったように、ZQN 感染中に比呂美の持っていた感染者同士の感応力や、「覚醒者」同士の距離を無視した意思疎通能力は、ZQN 症状が治癒すると同時に消え失せてしまったかのようでした。

しかし一方で、ZQN 感染者の持つ驚異的な身体能力を、比呂美は無自覚に、あるいは隠そうとしつつ自覚的に表に出してしまっています。だとするとその精神能力も、完全に消失してしまったのではなく、正常な精神活動、意思の働きによって単に抑制されているだけのことかもしれません。

実際、(元)来栖が比呂美との「交信モード」にあった時も、来栖の意識の働きはかなり弱まっているように見えました(11巻124話119頁/12巻132話25頁)。意識が明晰に働いている今の比呂美の脳内では、そうした ZQN の精神能力は抑圧されている可能性が高いと思われます。逆に言うと、ZQN 固有の精神能力が発揮されている状態では、表層意識の働きが衰えるのかもしれません。

今週157話で比呂美は、三人の誰よりも早く黒焦げ ZQN の接近を察知しました。直後に耳をそばだてる仕草をしましたが、最初に察知した段階では、何かの音が聞こえたというより直感的に気配を察したかのようです。もちろんその時点では姿は見えていないでしょう。

ここではなにか、黒焦げ ZQN と比呂美との間に、ZQN 同士特有の感応力が働いたかのように思えます。その推測が当たっているかどうかは、来週158話で明らかになるでしょう。

N: ネットワーク型(Networked)ゾンビ

いずれにしろ ZQN 同士の意識が直接結び付けられているのは間違いありません。久喜市の元来栖と芦ノ湖畔の比呂美との間で行われたような、遠距離を隔てて有意な言語的メッセージのやり取りを行えるのは「覚醒者」間だけに限られるにしろ、並 ZQN 同士の間でも何らかの精神的な感応はあり、しかもそれは比呂美の言わんとした「一体感」を伴うものであるようです。

つまり感染者の意識は、緩く、あるいは(「覚醒者」の場合)強力にネットワーク化されていると言えます。

そうしたネットワーク化された意識の集合が、一つ高位の全体的な意識を持つ、あるいはその全体意識の指令により(並)ZQNが動く、ということがあるのかどうかは、現時点ではまだわかりません。苫米地の観察した、久喜市の ZQN が全体として少しずつ南に移動しているという行動も、なにか全体意思が働いているようにも見えます。しかし、以下のような別の考え方も成り立ちます。

地球上のすべての物体は地球の中心へと引かれています。もちろんこれは、地球の中心に何かがあって他の物体を引きつけているわけではありません。地球上のあらゆる物体が相互に引力を及ぼしあい、そのベクトルの積分として、結果的に地球の重心≒中心へとすべての物体が引かれているわけです。

荒木の観察した ZQN は少しずつ南へと移動していました。しかし中田コロリの観察では、東京の ZQN は右往左往するばかりで、特定の方向に移動しているわけではないようです。比呂美は、結果的にせよ東京を目指しています。そして新来栖は、はっきりと意思を持って東京を目指しました。

西日本の、少なくとも関東の人口の重心は東京近辺にあるでしょう。そして人口密集地帯ほど ZQN 比率が高くなると考えられますので、ZQN の重心もまた東京近辺にあると考えられます。つまり、並 ZQN 同士に感応力が働き、個々の ZQN が「一体感」をもとめて動いているとするならば、結果としてそのベクトルの総和として、関東域の ZQN が東京に吸い寄せられるという現象が起こるのは自然です。

久喜第三中学で、狭い教室に密集した ZQN たちが、キズキ一行を見ても襲おうともせず、含羞を帯びた表情で目を逸らしたのも、同じ理屈で説明がつくかもしれません。本来弱い力であった ZQN 同士の引きつけ合う力が、狭い教室で密集し、磁束密度を高めた結果、自縄自縛に陥ったのではないでしょうか。あるいは ZQN 同士の一体感が狭い教室に密集した結果臨界点を越し、一種エクスタシーの状態にあったのかもしれません。



Q: 奇妙な(Queer)ゾンビ

奇妙なゾンビ、クイア(Queer)なゾンビという言い方は、それ自体奇妙な物言いに聞こえるかもしれません。ゾンビというものは、そもそも常軌を逸した奇妙な存在であるからです。

もちろんここで書こうとしているのはそうした話ではなく、この花沢作品におけるゾンビには、映画や小説に登場するゾンビ一般に比べてもなお奇妙な特質が、まさにこれから現れてきそうだ、という話です。

それは、人から ZQN ウイルス(?)に感染してゾンビとなってしまった存在が、どうやらさらにもう一段メタモルフォーゼする能力、あるいは発展段階を持っている(らしい)ことです。

それについての示唆はベルギー編にありました。私には、それは正直本当にちょっと勘弁してほしいという展開であり、あえて幻視ということで片づけさせていただいたのでした。しかし12巻表紙にてさらに強い示唆、いや示唆というより予告を見せられ、これはもう現実を直視しないわけにはいかないなぁ、という結論に至った次第です。

どうやら今後、ZQN の次の発展段階として、おそらくは植物的な方向へのメタモルフォーゼが待ち構えているようです。

それは通常であれば奇妙というより、下手をすると奇天烈というべき展開になってしまいかねないものですが、花沢先生の力量で奥行きのある、重層的な、しみじみとした物語になるのだろうと期待しています。

植物化というと、どうしても筒井康隆氏の傑作短篇『佇む人』を思い出しますね。佇む(たたずむ)人の「佇」という字が人偏であることが、物語の重大なヒントとなっている作品です。

ZQN

以上をまとめますと、アイアムアヒーローにおける花沢ゾンビ(Z)は、通常のゾンビにない奇妙さ(Q)を持っていること、そしてネットワーク型(N)であるという特質を持っていることになります。これを数式で表せば、

Z = Q × N

という恒等式となります。すなわち ZQN式です。

数式はまぁ遊びですが、花沢ゾンビが、従来のゾンビとは相当にパターンを異にするエキゾチック(風変りな)ゾンビであることは間違いなさそうです。

※記事中で引用した画像は単行本・花沢健吾『アイアムアヒーロー』(小学館)、または週刊『スピリッツ』(同)より

(2013/10/01 12:22 投稿)