『アイアムアヒーロー』には、比呂美が「うん、生きててよかった」つぶやくシーンが三度出てきます。

最初は樹海編第31話、英雄が比呂美に初めて向き合ったシーンです。

深夜「自殺志願者」の英雄を発見した比呂美は、一晩中起きて英雄を見守りました(比呂美の目の淵に前夜無かった隈ができていることから、一晩中起きていたことが推測できます)。明け方、小用のために傍を離れた比呂美にとってかすかな不安は、その隙に英雄が自殺を決行してしまうことだったでしょう。

しかし英雄は無事に生きた姿で目の前に現れます。対面した比呂美は、感極まった表情で「生きててよかった」とつぶやきました。

正直に書くと連載でこの台詞を読んだとき、私は多少の失望を覚えました。

私にとっての花沢作品の魅力の一つは、登場人物の行動・心理・発する台詞のリアルさにあります。それは、普通の人間がその状況であれば、そのように振る舞い、そのようにしゃべるだろうと常に納得させてくれるものであり、したがってストーリーにも登場人物にも自然に感情移入することができるからです。




普通、リアルだと言われる漫画であっても、それはたいていフィクションという前提の上でのリアルさであったり、大いに主人公バイアスが入ったうえでのリアルさであることが多いものです。たとえば主人公が正義感から巨悪に立ち向かったり、自分の生命を犠牲にしてでも見ず知らずの他人を助けようとするという不自然さの上に立脚したリアルさです。普通の人間にそんなことはできません。

この漫画に対しての評価をウォッチしていると、よく目につくのが「ダメ男である主人公は…」「主人公のヘタレっぷりは…」という冠から始まる感想です。冷静に判断すれば、世間一般の男がもし英雄の立場に置かれた場合、英雄以下の行動を取ることはあっても、英雄以上の行動を取ることはそうあるものではないとわかるでしょう。

英雄がヘタレだと言う感想を持つ人は、よほど人並み以上の勇気と美学に基づいて行動する人でないとすれば、やはり主人公バイアスを含んだうえでこの漫画を読んでいるのだと思います。

そういう意味で、リアルなリアルさを頼んで花沢作品を愛読していた私にとって、比呂美の「生きててよかった」の台詞には、違和感を持たざるを得ませんでした。

いくら英雄に共感したとしても、女子高生比呂美にとっての英雄は「夜中に樹海であった変なおじさん」であることに変わりありません。英雄が自殺しなかったことにホッとすることはあっても、そこまで感極まって「生きててよかった」と言うのは、いくらなんでも綺麗ごとすぎる台詞ではないか。もしかしたら締切に追われて描き流した台詞なのではないか、大変失礼ながらそんな感想を持ってしまったほどです。

もちろんそれは、私の大いなる読み間違いでした。

この台詞の意味がより明確になるのは、二回目の方です。

モール編77話(第7巻)。目白を蹴倒して英雄=真司を救った比呂美は、その直後、「うん、いきててよかった」とつぶやきます。台詞は ZQN 調を帯びますが、樹海で英雄と向かい合ったときと同じ台詞です。この台詞も、一見すると、飲みこまれた英雄が無事に吐き出されたことを喜んでいるように思えます。

ここで、この時に比呂美の置かれていた状況を振り返ってみましょう。

初期のわけのわからないうちに感染してしまった感染者とは異なり、比呂美は感染前に、感染した人間がどうなるかについてある程度の知識を持っていました。英雄の説明から、あるいはZQNとなった紗衣や加奈子の姿から、感染者の悲惨な末路を知っていたのです。比呂美には自分が感染してそうした姿になることは、受け入れがたい運命でした。

だからこそ比呂美は赤ん坊ZQNに首筋を噛まれたとき、英雄に「感染してたら、遠慮なく殺して」と告げたのです(5巻第49話)。

しかし比呂美が発症した時、比呂美の意思に反して、あるいは比呂美を殺せと言う荒木の意思にも反して、英雄は比呂美を護りました。結果として比呂美は、絶対にそうはなりたくないと思った状態に陥いりました。

ただ、比呂美は完全な ZQN となってしまったのではなく、のちに登場する来栖や感染後の崇に比べれば意識レベルは低いものの、ある程度意識を保った「半感染」の状態でした。比呂美が周囲の状況をある程度理解し、周りの人物の行動に、感情をともなって反応していることは様々な描写から伺えます。

下は、子ども扱いする英雄に軽くムカついて、わざと頭を踏みつけたシーンです。

ついでに書くと、時間を追うごとに比呂美の状況認識能力が回復しつつあることも丁寧に描写されており、動物病院での手術直前には、比呂美の意識は正常に近いところまで回復していました。したがって146話ラストに登場した比呂美が完全に回復していたのも自然な流れと言えます。

さて、半感染状態で自分の置かれた立場を理解しているいうことは、ある意味最も残酷な状況とも言えます。死んだ方がマシだと思っていた姿になりながら、殺してもらうこともできず、自分で死ぬこともできない状況です。ここで比呂美は、生きる意味を完全に喪失していたと言えるでしょう。

比呂美が英雄=真司を救ったのはそういう状況でした。

無意味に生かされていると思っていた自分が人の命を救うことができた。自分が生きていたことに意味があった。比呂美はそう感じたずです。比呂美の発した「いきててよかった」は、英雄が生きててよかったという気持ちであると同時に、あるいはそれ以上に、自分が生きていてよかった、自分が生きていることに意味があったのだという気持ちだったのでしょう。

ひるがえって樹海のシーンに戻ります。絶望についての考察で述べた通り、あるいはこの項の最後に述べる通り、比呂美が死を思いつめながら深夜の樹海を歩いていたことは間違いないと思われます。

死を思いつめるということは、すなわち生きる意味を喪失しかけているということです。高校生にとってクラスの中での孤立は、全世界からの孤立を意味しているのかもしれません。あるいは元父親に対する怒りや母親の入院、それによる家計の困窮なども比呂美の気持ちに翳を落としているのかもしれません。

そうして絶望的な気持で歩いていた深夜の樹海で、比呂美は英雄に遭遇しました。その「自殺志願者」のつぶやきに共感した比呂美は英雄を救おうと手を差し伸べます。その翌朝比呂美は、無事に生きている英雄の姿を確認しました。

もちろん英雄を「自殺志願者」と思ったのも、英雄を「救った」と思ったのも比呂美の勘違いです。しかし英雄を「救った」こと、彼女にとって喪失した自分の生の意義の再発見でもありました。結果として比呂美は自分自身を救ったのです。

次の見開き 2 ページは、雑誌掲載時には無く、単行本収録時に追加されたページです。ページ左下の「うんうん、生きててよかった」は、冒頭の31話最後の台詞を、少し巻き直した時点から再生したものです。

本作で単行本収録時に見開き以上のページが挿入されるのは、通常アクションシーンなどのサービスページであることが多いのですが、この 2 ページで描かれているのは、樹海と樹海周辺の静かな夜明けのシーンです。したがってこの見開きが挿入されたことには、サービス以外の何かの意図があるはずです。

見開きページに描かれているのは、朝日によって輝きを取り戻した光景、枝に懸けられた不吉なネクタイ、そして、みずみずしい緑です。これはいずれも、そうした光景を見た人に、自分が生きていることを実感させてくれる描写ばかりです。比呂美の「うん、生きててよかった」が、まず何よりも自分が生きていてよかった、自分が生きていることに意味はあったのだという、自己の生の意味の再確認であったことを、この追加された見開きページが示しているのではないでしょうか。

逆に言えば、それはすなわち、深夜の比呂美が深い絶望の底にあったこと、真剣に死を思いつめていたことの証拠であると言えます。




この「うん、生きててよかった」が三度目に登場するのが、スピリッツ先週号に掲載された第146回目です。「想い出のパリ」にも書いたとおり、この三度目の「生きててよかった」を読んで正直困った、と思いました。

先週金曜日にこの項(「生きててよかったについての考察」)を予告した時点では、この台詞はまだ二回しか登場しておらず、まさか三回目があるとは、少なくともこれを書こうとした矢先に登場するとは、予想もしてなかったからです。

基本的にこの考察ネタは、連載からある程度の時間が経過し、自分の中で解釈が落ち着いてから書けるネタを選んでいます。したがって困った理由の第一は、できれば掲載直後の回については触れたくなかったことです。

そして、この三度目の「生きててよかった」が、もしかしたら前二回とは異なった文脈で発せられた台詞ではないか、と感じたことが、困った理由の第二です。

しかし、この三度目の「生きててよかった」の絵をよく見ると、最初の樹海でのシーンの構図と非常によく似ています。似ているというより、明らかに意図して同じ構図で描かれています(このコマの一つ前の比呂美の顔のアップのコマも含めて)。

意図的に同じ構図で描くということは、「生きててよかった」の意味も、前二回と同じということなのかもしれません。

上述の通り、比呂美の症状は再登場直後の深い感染状態から回を追って徐々に改善し、手術前には周囲の状況認識能力もかなり回復していました。その延長で、146話のコテージで目覚めた比呂美は、手術の傷が癒えると同時に、意識も明確に取り戻していると思われます。

あるいは久喜編の経過から考えると、比呂美の意識も能力も、ある種の「超回復」状態にあるのかもしれません。それは今後、明らかになることでしょう。いずれにしろ、ここで長い悪夢と絶望から解放された比呂美が、生きていることの実感を明瞭に取り戻したことは間違いないでしょう。その意味でも、前の二回の「生きててよかった」と同じ文脈で発せられたセリフのように思われます。

さて、これまで三度比呂美に「うん、生きててよかった」と言われた時の英雄は、三度とも戸惑いの表情を浮かべています。英雄が生きていたことが比呂美にとってそれほど喜ぶようなことであるのか、それとも別に真意があるのか、そういう戸惑いでしょう。

147話で、英雄は比呂美の「生きててよかった」の真意を悟ることになるのでしょうか?

※記事中の画像は花沢健吾『アイアムアヒーロー』(小学館)単行本より

(2013/06/14 21:04 投稿)