夢についての考察


比呂美
伊浦 
サンゴ
目白
ブライ
黒沢
藪と母親
田村
英雄
父親

伊浦

 
比呂美の章で書いたように、半感染者となった比呂美は、他人の性格や心理を常人以上に鋭敏に察知する能力を身につけたようです。




比呂美の目に屋上の住人は、外見的特徴はデフォルメされ、心理的特徴は具象化して投じられた姿として映っています(伊浦や目白)。相手によってはその姿は後者のみ、つまり外見的特徴はすでに伺えず、心理的特徴のみが具象化した姿となっています(藪やブライ)。

比呂美の目に映った伊浦の姿はサメのぬいぐるみでした。それも通常のサメではなく、どこか壊れているかのようなサメのぬいぐるみです。

サメのぬいぐるみである理由は、おそらく伊浦の青色のオーバーオールと、サメのぬいぐるみの外見との視覚的類似性から来るものでしょう。つまり外見的特徴がデフォルメされて投じられた姿です。

下図左は、googleで「オーバーオール」で画像検索した結果、右は「サメ ぬいぐるみ」の検索結果です(クリックで対応リンクへ)。

     

この縮尺で比較すると、両者の視覚的な類似性がよくわかります。また、伊浦の抱えていたボーガンの形が、もしかするとヌイグルミの口の形に反映しているのかもしれません。

ではこのサメが壊れているように見える理由は何でしょうか?伊浦の外見に対応する特徴がないことから判断すれば、これは比呂美が察した伊浦の精神状態が、夢の作用により具象化して投じられた姿でしょう。

「入国審査」で英雄一行と顔合わせした時点で伊浦の心はすでに壊れかけていた。そして「しりとり検査」で初めて伊浦に接した比呂美は、半感染者特有の鋭敏な感覚ですでに伊浦の壊れかけた心の状態を察していた。そう考えれば、比呂美の心象の中の伊浦が「壊れた」サメであったことの説明が付きます。

伊浦の職業

 
モール編の最後の回に、伊浦の職業を示唆する一コマが描かれます。

駐車場の一階でジャージ娘ZQNに噛みつかれながら伊浦は「タイホするう」と呻きます。ここで伊浦にわざわざ「タイホするう」のセリフを言わせたのは、彼の職業が警官であったことを示すために他ならないでしょう。

しかしこのセリフを待つまでも無く、伊浦が警官であることの伏線は以下のようにそこかしこにありました。

  • 御殿場市の手前で荒木の見た掲示板の書き込みに「自衛官、警官もいる」とありました。自衛官は屋上の住民を半減させた感染源だったわけですが、警官とは誰のことだったのでしょうか?

  • 手錠。藪と比呂美を繋いだ手錠の持ち主は誰だったのでしょう。

  • 法律的知識。下図は老人に深夜の即決裁判で罪状を挙げるシーンです。なにやら法律に詳しそうな感じです(少し怪しいですが)。


  • 観察力と分析力。数は双眼鏡でZQNの行動を観察しその意味を探る伊浦の姿です。


  • 秩序に対する志向性。秩序の崩壊をむしろ歓迎するサンゴとは対照的に秩序を志向する伊浦が描かれます。


  • なにより伊浦の発する権力臭。丁寧な口調とは裏腹の強圧的な雰囲気は、警官が市民に接するときに醸し出す独特の権力臭を思い起こさせます。

こうした状況証拠や伊浦の言動・雰囲気や「タイホするぅ」のつぶやきから判断すれば、伊浦が警官であることは確かだと思われます。



伊浦の性格

 
元々の性格なのか、警官としての職業的馴致ゆえなのか、あるいはその両方なのか、伊浦の性格の特徴は自己の感情コントロール能力の高さにあります。

それを顕著に物語るのが、テントで行われた「統合幕僚会議」です。

会議の場で伊浦の立てた「女を与えて仲良し作戦」はオジャンにされ、サンゴにヘゲモニーを奪われます。

それまでは中立あるいは伊浦寄りであったと思われる目白と田村が伊浦の目の前でサンゴの側についたのです。均衡を保っていたサンゴと伊浦のあいだのパワーバランスがサンゴ側に傾いた瞬間です。

もはや権力の失墜が生死に直結する状況となった屋上王国で、これは通常の人間ならば狼狽する局面です。少なくとも内面では彼も激しく動揺したはずです。しかし伊浦は感情を抑え、冷静に事態に対応しました。

すばらしいとも言える感情コントロール能力ですが、逆に言えば、これは伊浦の心には常に強い抑圧のかかっていることを意味します。心の内面のエネルギーを抑え込もうとすればそれ以上の負荷を自らかけなければならないからです。

伊浦の心が壊れた理由

 
伊浦の心は、外面からは激しいストレスにさらされ、内面からは強い衝動につきあげられ、それを彼の感情コントロール能力でかろうじて抑え込んでいる状態でした。

外面からの激しいストレスの第一は、この異常な状況そのものです。原因も対処方法も判らないままZQN禍が社会を飲みこんでいく事態は、秩序を守る側にあった彼に、モール屋上に至るまでの間にも強いストレスを与え続けたことでしょう。

そして屋上での権力闘争。英雄一行が到着したときには辛うじてサンゴとの間で均衡が保たれていましたが、油断するといつ寝首をかかれるかわからない状況でした。

伊浦はまた、その内面に強い欲望・衝動をかかえていました。

本作では複数の登場人物について、ZQN発症の兆候段階から発症の最終段階までが克明に描かれています。タクシー運転手、その乗客のアベック、編集部カズや新人女性漫画家カオリ、そして伊浦です。その発症過程において、皆、一様に感情の抑制の効かない、情動失禁の状態に陥ります。

その中でも、もっとも激しい感情の暴発を見せたのが伊浦でした。

発症前後のこの落差の大きさは、伊浦が理性の力で無理やり抑え込んでいた彼の不安や欲求、衝動が人並み以上に強かったことの証拠です。それがZQN発症により抑えが利かなくなり、一気に噴出したものにちがいありません。

ここで発症した彼の口から出る言葉から、抑え込んでいた藪に対する性衝動、隠していた幼稚な自己顕示欲が明らかになります。藪の目の前で自慰をし、声高に自慢話をする伊浦の姿こそが、彼の意識が抑えこんでいた、彼のエスでありイドであるのでしょう。

このように外面からの強いストレスを受け続け、あるいは内面の衝動を意思の力で抑え込んでいたのが伊浦の心の状態でした。

ZQN感染・発症による精神の崩壊を待たずとも、英雄の一行が屋上の王国に入国したとき、伊浦の心がすでに壊れ始めていたとしても不思議ではありません。そして半感染状態になった比呂美の鋭敏な心が、壊れたサメの姿としてそれを捉えたのでしょう。

※記事中の画像は花沢健吾『アイアムアヒーロー』(小学館)単行本より

(2013/05/10 20:55 投稿)