夢についての考察


比呂美 
伊浦
サンゴ
目白
ブライ
黒沢
藪と母親
田村
英雄
父親

比呂美

本稿は比呂美の見ている夢についての考察です。え、夢?と思われるかもしれません。




赤ん坊ZQNに噛まれ、半感染状態に陥った比呂美。意識は混濁した状態ですが、決して眠り続けているわけではありません。彼女は起きて活動し、ときには敵に対して戦いを挑んでいます。したがって厳密な意味での夢ではありません。

しかし起きて活動しつつも、比呂美の目には周囲の人物がすべて異形の姿で映り、背景は彼女の記憶の中の中学生時代、小学生時代に観た景色に置き換わっています。彼女は白日夢の中にいる状態と言えます。

その白日夢の中では、人の性格や心理はその姿かたちへと置換され、抽象的観念は具象的シンボルにすり替わり、あるいは比呂美の抑圧されてきた不安や怒りが吹き出し、意識は過去に退行しています。これはまさしくフロイト的解釈の成り立つ夢の世界です。

12巻の時点では、半感染状態に陥った登場人物が比呂美を含め三人登場しました。三人の「症状」は三者三様ですが、その中で最も意識レベルが低下していたのは比呂美です。正確には極度に意識の低下した状態から徐々に回復し、動物病院で抜釘手術を受ける段階では白日夢から抜け出す直前まで回復していましたが、まだ正常には程遠い状態です。

そして注目すべき点は、そうした意識レベルの極度に低下した状態にありながら、逆に比呂美の直観力、人の性格や心理を見抜く直観力が極度に鋭敏になっていたことです

次の場面は、英雄と藪グループを制圧したサンゴたち支配者グループと、テントから起きだしてきた比呂美が対峙するシーンです。

最初に実際の人物が描かれ、次に同じ構図で、比呂美の目に映った彼らの姿が描かれています。





あまりに異形化されてしまったため、どれが元の人物のデフォルメされた姿なのか判別をつけるのも難しそうに見えますが、人物の配置に注意すれば、両者を対応させることは容易です。

ちなみにモールの屋上は比呂美の目には公園として映り、テントはすべり台として映っっています。彼女の意識が小学生にまで退行していることがわかります。

ここでデフォルメされた人物の姿は、実はそれぞれの人物の性格や心理を表しています。それも、物語の中ではごくわずかにしか描写されなかったような性格や深層心理です。

比呂美が屋上の登場人物と向き合ったのは、屋上に入国した場面と、ここで対峙した場面の二回に過ぎません。藪に関してだけは、前日の深夜にその痴態を見せられたのを含め三回です。

それにもかかわらず比呂美は、彼らの深層心理まで感じ取ったわけです。

そもそも感染前の比呂美は、決して勘の鋭い女子高生ではありませんでした。樹海で紗衣が絶命前、懸命に伝えようとした思いは比呂美には伝わりませんでした。樹海で逃走中、つい手を放した英雄の純情も察せず、自分を見捨てようとしたのだと勘違いしたのも比呂美です。

それに比べると、半感染状態の比呂美はよほど敏感に英雄の心の動きを察しています。下図は、荒木の車の後部座席で、英雄の手を握り「だいじょうぶ」とつぶやいたシーンです。

64話は一行を載せた荒木の車がモールを目指す回です。御殿場市内を走り抜け、モールが近づくにつれ次第に酷薄の色を濃くしていく車窓の光景や、それに呼応するように荒れていく荒木の言動に、英雄の不安は高まり、気持ちは萎縮して行きます。

比呂美の行為は、その英雄の感情を鋭敏に察知していることを示しています。

今後比呂美が回復し理性を取り戻していく過程で、この過剰ともいえる直観力がどう変化していくのかは興味深い点です。




次回以降、比呂美の目に映った屋上の住人の姿の持つ意味について、一人一人考察していきたいと思います。

本稿はサイト「アイアムアヒーローにまつわるエトセトラ」(休止中)に掲載した文章を修正・加筆のうえ掲載したものです。

※記事中の画像は花沢健吾『アイアムアヒーロー』(小学館)単行本より

(2013/05/03 19:21 投稿)